このHPは故山崎美幸の作品を、 孫の好き嫌いで紹介するページです

    遺族の現実




「 オジィが絵描き 」


この事を人に言うたびに、今までどれ程「 カッコイイねー」、 「 スゴイねー 」と言われてきた事でしょう。



絵描きだった祖父が亡くなって16年、遺作展から15年。

2002年12月、祖母の一周忌をきっかけに遺作展以後15年間全く手付かずで放置されていた
アトリエの大掃除を始めました。

ともかく汚いので、とりあえず個展に出した絵と出してない絵、フランスで描いた絵と日本で描いた絵の把握ぐらいはするか、
というような軽い気持ちでアトリエの掃除を始めました。


ところがどうでしょう。出るは出るは次から次へとメートル以上の大作から、A4のコピー用紙ぐらいの小さな物まで、
有に200枚以上の絵が残されていました。 
ちゃんと保管されている物もあれば、むき出しで放置されホコリまみれの絵も沢山ありました。


そこではじめて気がつきました。
 

「オジィが絵描き」ってカッコイイどころの話ではなかったのです。


残された絵の管理って実はチョー大変だったのです。


ゴッホやピカソ、岡本太郎ならいざ知らず、全然有名じゃない地方の絵描きの遺族って、一体絵をどうしてるんでしょう。


デッサン、習作、絵の具類、絵を描く台(イーゼル)、古い額縁はともかく、さすがに個展に出した絵を捨てる訳にはいかない。
かといって生前の個展で売れ残っている作品がいまさら売れる訳もない。


もし音楽家の遺族ならレコード、CDが200枚あってもダンボール数箱とピアノを置く部屋があれば済むかもしれないし、
写真家なら最悪ネガとカメラを置く部屋があれば済むのかもしれません。
けど画家は違います。そうはいきません。たった一枚の絵でもそれが1メーター×1メーターであれば
それを保管する特別なスペースが必要なのです。


祖父の死後、小さな絵は結婚祝い、新築祝いとして親戚へプレゼントされてきました。
絵をプレゼントする際のリクエストは10人が10人、
「プレゼントしてもらえるならどんなのでも良いけど、とりあえず小さな絵」と言います。
そして結果的に70センチ以上の大作だけが残ります。
そんなにも大きい絵は決して誰も貰ってくれません。


どこかに寄付するにも田舎にはそんなでかい絵をサラッと飾るような
立派な建物やホテルはそうありません。 また学校も廃校になる事はあってもそうそう新たに創立はされません。
それにありがたがってもらえるのは、所詮、寄付する前までです。
公共の施設というのは、お願いしてきていざ受け取ったら、もうそれっきりなのです。
残念ながら、「 借りたら返す、これ常識 」ならぬ「 貰ったら貰いっぱなし 」  これが実情です。


じゃあせめて小さいサイズにの絵は知り合い、友人にタダであげるかといっても
それは今まで買ってくれた方に失礼です。
当たり前ですが、
その人達のお陰で祖父は絵の道具を買い、会場を借りて個展を開き、晩年フランスに行ったりしていたのです。
低いレベルで言えば僕もそのお金でお年玉を貰ってきたのです。


考え方は人によって違うでしょうが、僕は
「俺には30万で売ったものをアイツにはただ同然か」
と思うからです。



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            1980 「 パリーの午后 」  孫  1980 「パリ−サンジャック」
                                              1980年夏