「フィレンテェの女」                         

                      

  

ホテル・グランテから大通りの反対側にはいったところには、
まだ開いている商店街があった。夜の10時過ぎである。
私は美術の教師をしているY氏と連れだってその通りへ出た。
革製品でも買おうとウィンドウをのぞくうち、私は思わず固唾をのんだ。

店の奥でチッラと見た女。
私はY氏を急ぎたてるように呼んだ。
私は正直なところ、このヨーロッパに来て、私の満足出来る美人に未だ出会っていない。
ちょっとアトラクティッブな女と思っても何か修正したくなる所があるものだ。
それならいっそのこと、全部修正しなくてはならない女房の方が見ていて気が楽だなと
思っていた矢先である。
 
柔らかなウェーブのある薄茶の髪に縁どられて、ふっくらした頬がある。
高すぎることのない筋の通った鼻、クリっとした二重まぶたの瞳、すらっとしているがトゲトゲしくなく、ふくらみのある身体。
まるでボッチェリーかラフェロの絵の女そっくりである。
ミニスカートから現れたももの色は、ちょうど大理石に血が通ったかのようである。

私がハンドバックに目を移したのは、彼女を見るのが眩いせいでもあったが、

 「奥様のお土産ですか?」とたずねてきた。私は思わず
 
 「そうだ」と答えずにはいられなかった。

Y氏は盛んにシガレットケースを詮索していた。これでは足りないから、もっとドンドンもってこいと、
オーバーなジェスチャーで、ちょうどオールをこぐような格好をしている。
私は何を買うというあてもないので、自然と彼女もろともY氏の方へこぎ寄せられた。 

20ばかりのシガレットケースを選んだのち、Y氏は値段をまけろという。
私がそれを彼女に通じてやるが、彼女は愛嬌のある笑顔で、なかなかこちらの言う通にはまけない。

ところがY氏は、その交渉を私に任せたまま、両足を踏ん張って、
そろりとズボンのベルトゆるめ始めた。
彼女の顔が一瞬こわばったので、私はY氏の奇妙な行動に気ずいたのだが、
次の瞬間には、彼女はまさに転げんばかりに前にかがみ込み、コロコロと笑い転げた。
Y氏はベルトをゆるめると、おもむろに腹巻の中から札を取り出していたからである。
彼の演出、 といっても意図したものではなかったが、それが功を奏して、
値段はこちらの言うままに落ち着いた。




さて、商いが一段落ち着くと、Y氏は彼女を描きたいという。


美術の心得がない私でさえ、その衝動に駈り立てられるのだから、
Y氏がもし、彼女を無視したら、彼は本物の絵描きとは言えまい。
私が彼女は今までに見たことがない美人でチャーミングだから、
彼はあなたの絵を描きたがっていると伝えると、快く、というよりは心から嬉しいというふうに
奥の部屋へ案内した。

ポーズを取る、、髪型をいろいろに変える、そしてどれが似合うかたずねる。
私は彼女の髪をなでたり、大理石の腿をさすったりしながら、手助けをし、それに応じている。
偉大なる生きた彫刻の前には、どんなに誇り高き男性も奴隷になるが如くにである。


一時間、いやそれ以上に我々は彼女に魅せられたまま、うつつを抜かしていた。
Y氏に至っては肝心の腕がすっかりにぶり、今までにない愚作を描いたことであった。


彼女の名はニーナ、20才。
    





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