山崎美幸展に寄せて美幸先生のこと
美幸先生は武蔵野美術大学の前身、帝国美術学校の一期生である。
日本の画壇では創元会の会員である。
あり、80号、100号の大作を出品され、個展も東京、大阪をはじめ各地で開かれる。
私は足掛け5年のパリー生活で接する機会を得たが、とても70歳とは信じ難い体力、気力、仕事振り、
そして度胸である。
言葉がわからないで、先年アメリカや中国に行かれたのも驚きだが、
パリー独居中も、絵具箱を背中にしょって、イギリス、イタリア、デンマーク、スペインと描き廻られ、
フランス国展には全て入選を果たされた。
76年のフランス干魃の年、クラクラする日照が2ヶ月続いた時も眞黒になって外で描かれた。
それも朝8時に出て、夕日が沈むまでである。
今回のパリー生活も体力、気力は衰える所か、相変わらずの頑張りようである。
何時、何処でも絵の事しか頭になく、全ての事を達観されている先生を羨ましく思う。
思い、雑用も引き受けて、心ゆくまで描かして差しあげたいと思う、パリ−での仕事振りであった。
「天才」が自己の内部の美を完全に把握して、開花させ切った人なら、
「ほんもの」とは、先生のように、人真似ではなく、自己の内部を信じて
自分自身の美しい絵を描こうという生命力に徹しきった人であると私は思う。
今回のパリ−滞在はセーヌの川岸、ノートルダム寺院とルーブル美術館の間に住まわれたので
毎朝早く、一ヶ月間ポンヌフ橋に通ってセーヌ河の大作を描かれた。 それはテレビに出た。
又、一等地のノートルダムギャラリーで5月には個展もされた。個展のオープニングパーティーの日、
沢山の売約と共にすごい人々が見えたので私達の方が驚いてしまった。
先生は、笑顔と共に風の中、雪の中をゴッホのように絵具箱をしょって出掛け、現場で描かれる。
そして現場周辺の人々と親しくなられる。 さらにその絵に伺う態度と仕事振りには誰もが心を打たれ、
個展の時には何をさておき、祝福に来てくれたのである。
絵を描かれた時の近より難い恐さ、筆を持たない時の純粋な笑顔、ささくれだった人の心を
ほのぼのと暖めてくれる美しい絵、同郷人としての誇りである。
今回の高新での個展にあたり、一人でも多くの人に美幸先生の事を知っていただき、花のような心を唄った
作品を見ていただきたいと、はるかなる後輩ながら、つたないペンをとった次第なのである。
在仏女流画家 山川 陽子
1982 高知 山崎美幸 作品展