プチ・ムシューの思い出 VO.2


  無邪気な自然人




  私も絵に対するファイトは人さまには決して負けぬつもりだが、画伯は『 ものすごい 』の一語であった。
  
  私達は様々な場所に写生旅行に出かけたが、例えばコルシカ島(仏)に取材旅行に行った時である。
  パリ・オロリー空港に現れた画伯の服装は絵の具だらけの上着とズボン姿だ。
  女である陽子がビックリし、 「先生、そんな格好で行くんですか!?」 と聞くと
  画伯は「いかんかね?、わしは絵を描きにいくんじゃが」。
  この一言で、プロの画家である陽子としては何も言えなくなってしまった。
  
  ホテルでスープが出るとスプーンを使わず皿のふちをつかみ上げ、そのままゴクンとやる。
  その姿が非常に自然で、無邪気であった。
  
  画伯がかなりフランス生活に慣れた頃、自由に生活していただこうと考え、
  モンパルナスのバハンにあるホテル『リベア』に入ってもらった。
  多くの日本人画家が泊まるホテルである。
  手足がご不自由ということで裏庭続きの部屋に入ってもらったが
  ある日、宿のメードから電話が入った。
  

   「ムシュー山川、すぐ来てくれ、プチ・ムシューが大声で怒鳴っている」
  

  プチ・ムシューとは、画伯のパリ、モンパルナス付近での愛称である。
  画伯が怒った顔や姿を見たことがない私は驚き、すぐに駆けつけた。
  メードがこわごわ廊下からのぞき見ていたが、
  私が部屋に入ってみると床一面に新聞紙が広がり、クシャクシャに踏みにじられている。
  その新聞紙のくずの中で画伯が目に涙をため、泣きながら立っているではないか。
  部屋の床を絵の具で汚しては悪いと考えた画伯は、新聞をわざわざ買って来て床に敷いたのだが
  足を引きずって歩くため、せっかく敷いた新聞紙が足にひっかかり、
  まるでゴミくずのようになってしまったのだ。
  メードはメードで
  『このプチ・ムシューは手足が不自由な方だから、私が片付けてあげなければ』と考え
  新聞紙を丸めて外に放り出そうとしたのである。
  
  双方の善意が微妙に食い違って起きたこの騒動。 画白はポツリと
  「言葉が通じぬことよりも、わが足の思うようにならぬことがつらい」と無念さでいっぱいのようだった。

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          s.yamakawa y.yamakawa mr. kumonn  petit monsieur Le Port de Bonifacio CORSE
             山川 茂さん 陽子さん 公文氏                                                                  ナポレオン出身のコルシカ島写生  公文氏サツエイ
           
1982 Corse                                                          4号にかきました 遠方には雪山が見える